2007年4月 7日 (土)

占い

日本滞在の後半を友達の家で過ごしている。これまたロンドンで知り合ったママ友達で、子供がうちの子達と同年代。彼女の所は上が女の子で下が男の子だけど。渋谷のど真ん中。とは言え、裏道を行けば昔ながらの商店街が軒を連ね、隣近所は結構頻繁に行き来していて、東京はご近所の繋がりが薄いなんて言われているけど、彼女の所に関して言えば、それはまるっきり当てはまらないね。

毎日大騒ぎ。(うちの)子供達は朝早く起き出しておもちゃ部屋に直行。6時やっと回った位から太鼓鳴らしたり笛吹いたり、で、それ聞いて彼女の子供達も勿論起き出して加わってくる。4匹のサルの軍団。あー、母親ってホントーに身体との勝負よね〜....。毎日毎日大声を上げてサル達をコントロールし、夜ぐずつくチビ達をだましだましお風呂に入れ、まだ遊び足りなそうにオモチャに手を出す子供を叱りつけ、やっとベッドにいれた後は私達の時間。冷えたビールの缶を開けて、美味しい肴をつまみながらたわいもない事を話したりするのは、何事にも代えられない贅沢よねー。

テレビを点けてみた。ここ何年かでえらく有名になった占い師が出ていた。どうやら何とかいうタレントを占うらしい。この占い師、なんだか知らないけど、えらくキンキンキラキラと着飾って、これはどこどこの、これはいくらいくらした、とかまず自分のアクセサリーの説明をし、周りの反応を楽しんでいる。まーね、女性がアクセサリーを付けるのって結局は他人に見せたい、見られたいって潜在意識があるからだけど、で、彼女がそれで自己表現をしたいんだろう事は見え見えなのだが、あんまりやりすぎると鼻につくよね〜。と、私は思うのだが。あんなの聞いてて、うわあ、うらやましい、私もあんなのしてみたい、って思う人なんている???良く分からん。

彼女の易って当たるんだろうか?ま〜ね、あんなにテレビに出る程なのだから、まるっきり外れた事は言わないんだと思うけど、占いって難しいよね。将来の事なんて勿論誰にも見えている訳ではないしね。易者なんて言いたい事言って、で言われた当人が、そういう風になるんだ...、とか思ったら潜在意識が彼/彼女をそういう方向に導いてしまうかもしれないし、はたまたそういう方向に行かないかもしれないし。ここに、当たるも八卦当たらぬも八卦って言われる所以があるんだろうね。それでも女性雑誌なんかに氾濫する易者の数々。あんなにいっぱい易者がこのちっちゃい国にいるとは思わなかったわ。へえー、一体どうすればあんなに沢山の人が透視能力とかを天から授かるわけ??

そこで考えた。どうやって当たる易者を見分けるか?んー、そうだ!自分の過去を言ってもらうってのはどう?自分の過去なら、もう過ぎた事だし自分が体験している事だから、易者の言った事が当たっているか外れているか簡単に分るもんね。それで、全てぴしゃっと当たっていた易者は、本当に当たる易者って思えばいいんじゃないかしら。

でも、ここでひっかけ。易者が、あなた、大変だったわねー、とか苦労したのよね、とか言ったとしても絶対に肯定しない。ただただ、聞いてるだけにする。だってさあ、あんなのって聞いてると易者の方も相手がどういう風に反応するかとか見ているみたいじゃない。でも、当人だって占ってもらいに来るくらいなんだから、苦労したんだろうし、大変だったわけでしょ。ここで、はい、そうなんですう、とか言っちゃったら、もう易者のテンポに乗っちゃうよねえ。だから、過去についてかなり具体的な事を言わせる。それがどんぴしゃだったら、まあその易者の事を信用しても良いんじゃないかしらね。

誘導尋問みたいなもんだよね、易なんて。結局その何たら言う男性タレントは、余程感極まったのか、声を上げて泣き出しちゃって。まあ、だからあの占い師もまんざらではないんだろうけどねえ。でもやっぱり、自分の事を占ってもらうんなら、あんなキンキンキラキラじゃなくて、もうちょっと質素堅実な人にお願いしたい気がする。

余談。前世見えますって人いるじゃない。あの人達が言う事って一体誰が証明してくれるの?あれだって口が上手いかどうかって感じがするのは私だけ?例えば、あなたは前世で戦国時代に生きた一国の主でした、下の者をかばいながら戦いに明け暮れる日々でした、だから現世でも常時神経を研ぎ澄ましているのです、なんて言われて、まあ悪い気はしないだろうけど、でも誰がそれを裏付けてくれるわけ?面白いよね〜人間の心理。ちょっと探してみたいのは、前世が人殺しだったとか極悪非道人だったとか、じゃなかったら犬でしたとか言われた人。絶対いないと思うね。普通は、どこそこのお嬢様でしたとか何とか言う武士でしたとか、でしょ。やっぱり口だけって感じ。

でもでも、一度は行って見てみたい、自分の前世。......んーやっぱり止めておこうっと。自分の前世がノミでした、なんて事だったら立ち直れないからね。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年3月31日 (土)

何日か早い父の法事だった。時の経つのは早いもので、父が他界してから既に13年が経とうとしている。小さな子供を持つ親となると、そうもしんみり昔を思う事も出来ず、慌しくしている内に毎日が過ぎていく。子供達を着替えさせて妹の車に乗り込んだ。どこに行くの、と上の子がたずねれば、下の子もドコニイクノ、と声を張り上げる。死んだおじいちゃんのお墓よ、と言えば、ふうん、と分かったような分かってないような返事。まあ、法事なんて言ったって、この位の年の子に理解せよという方が無理よね。

ごくごく身内だけの法事。私も毎回法事に戻ってくるわけではないから、いつもはえらく質素なものになっているのだろう。お寺さんに入っていくと、白檀のいい香りが鼻をつく。お経を唱えている間子供達は静かにしていられるだろうか、とのこっちの心配をよそに、二人共神妙にしていた。へえ、やっぱり少し雰囲気が違うって分かるのかしら。献香をしている時にふと女子高時代を思い出した。仏教学校だったから毎週献花献香の行事があった。最初にあれを見た時には鳥肌がたったね。ひえー、変な所に入っちゃった、って。人間なんて慣れるもので、その内それが当たり前になってた。それでも週に1時間あった宗教の時間では、先生にくってかかってた私。だって屁理屈並べてそれを信じろ、って、そんなの簡単に信じられるわけないじゃないねえ。反対に何も疑問を感じないで、ハイそうですかって信じる人間って絶対に変かすごい弱い人間だと思うけど。ま、そうは言え、こうやって法事なんて言われると慣行通りにしているんだから、やっぱり私も普通の人だね。

父の五輪塔は墓地の中程にあった。子供達ははしゃぎながら走っていく。塔婆を立て、濡れた布巾で五輪塔をきれいにしていく。子供達も自分が自分が、と母を手伝っている。父の姿が目に浮かんだ。まだ病に冒されていなかった頃の。私は父と顔を合わせれば議論をしていた。それは経済のことだったり政治のことだったり、また人間社会のことだったり。「お前はまだまだ世の中を知らなすぎる。頭の良い人間は先人の話を聞いて模擬体験をどんどんするんだ。馬鹿だけだ、自分でなんでもやらないと結果が分からないのは。」私はその典型的馬鹿人間で、なんでも自分でやってみないと気が済まなかったから、私のする色々な事でよく父とは衝突した。真剣に衝突していた。でも、心のどこかでは、こうして真剣にぶつかっていける人物がいる事に安心感を覚えていた。喧嘩をしながら、自分が父に愛されていることを肌で感じていた。

糖尿を患っていた。もう随分昔から。本を読むのが大好きだった父には、目が見えなくなった事が一番つらかったのではないかと思う。自分の命を縮めても父をもう少し生かしてくださいと願掛けしたのはいつのことだったろう。あの時に父を亡くす事は出来なかった。もう20年くらい前の話。それまで反発ばかりしていたのに、父の弱っていく姿を目の当たりにし、父に気づかれないように声を立てず泣いていたあの頃。ひどい娘だよねえ。父親がそんなひどい状態なのに渡英を決めた。でも父は、私が渡英すると言った時も自分の病をおして賛成してくれた。心配だったと思う。とにかく無鉄砲な娘だったから。家を継がせようともしていたと思う。でも私は自分の思うままに進んだ。父をがっかりさせたかもしれない。でも今私がこうやって二人の元気な子供に恵まれ、充実した毎日を送っているのをどこからか見ていて、納得してくれていると思う。

お父さん、帰ってきたよ。見て、二人共こんなに大きくなりました。これからも大変だけど、きちんといい子達に育てるからね。

帰り際、お寺の庫裏の裏手に大きな桜の樹が。花を満開に付け、時折吹く風に花弁をひらひらと舞い散らせていた。

日本の春。父も静かに桜を愛でている事だろう。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2007年3月27日 (火)

同窓会2

私はあんまり大人数で集まるのは好きではない。大人数で集まると一人一人との会話が希薄になるし表面的なもので終わってしまうからだ。それだったら少人数で会って実の濃い会話を――って言うか、そこにいる全員がああ来て良かったな、って思えるような会話をしたい。てな訳で、私はいっつも誰かに会う時は少人数制をとる。

ゼミ仲間は結構濃い連中で、大学時代の4年間同じゼミで勉強した仲間達だ。勿論皆今は日本のあちこちに飛んでいて中々簡単には会えないのだが、それでも今回のように私が帰国していると聞けば飛行機を使って会いに来てくれる。寂しい事もある。この位の年になると、仕事が思うようにいかなかったり生活が楽でなかったりして、同窓会で昔の仲間に会いたくないと思う連中も出てくる。今回もそんな感じの欠席が一人。まあ、この次に同窓会をやる時には前向きの彼を見てみたい。

なつかしい。皆全然変わっていない。女一人のゼミだった。女子学生が1割しかいない大学で、あちこちからくだらない誘いを受けてうんざりきていた私を、全然女として扱わなかった連中だった。柔道部の男の子とか都内でじゃんじゃんライブ開いていたミュージシャンとかものすごい北の方から上京してきたやつとか、ま、どうやって私を扱っていいか分からないから、とりあえず男と一緒に扱ったって感じの連中。でもそれがとっても嬉しかったね、あの頃。ゼミの先生も先生1年生だったからはりきっちゃってて、何度ゼミ旅行と称したしごき旅行に付き合わされたか。

「俺さあ、お前がどんなオバサンになっちゃてるかって結構楽しみに来たけど、全然変わってないなあ。本当に子供、いるのかよ。」私に日本酒を注ぎながら地元岩手の銀行で融資調査役だかになってるヤツの発言。

「ほらほら、覚えてる?彼いっつもこんな感じで他人を持ち上げるのが上手かったよねえ。私にやらないでよ。アンタの顧客じゃないんだから。」そうそう、と周りが賛成する。

隣に座ったのは元ミュージシャン。今はどこだかのお堅い会社に勤めているらしいけど、昔のくせは消えないのかしらね、黒い細いメガネなんてかけちゃって短髪の髪だって真ん中に寄せ上げてたりして、一瞬見たらどっかの音楽事務所のエージェントって感じ。

「元気してるの?」

「うん、出張出張で結構大変だけどな。」

「結婚したの?」

「いや。この間彼女と別れたよ。」彼は一度イギリスに私に会いに来た事がある。あれはいつだったっけ....。

「また、気が向いたら遊びにおいでよ。今住んでる所、アビーロードの近くだよ。」

そうだなあ、彼が煙草の煙を吐き出しながら言った。

「おい、覚えてるかよ。バリでさ、夜中に皆で海に飛び込んだ時。あれって誰が写真撮ったんだっけ?」突然柔道部の発言。

「あ~、楽しかったねえ、卒業旅行。先生までクラブに来ちゃってさ、その後で皆で飛び込んじゃったんだよねえ。私じゃない、写真撮ったの。濡れた記憶ないよ。」

「お前も飛び込んでたよ、海に。写真に写ってる写ってる。そうだ。また皆で行っちゃおうか、バリ。」

「えー俺達またバイトするようじゃんかよ。まったくこのお嬢がバリなんて言うからさ、ゼミ休んでまでバイトしてさ....あ、先生、どうもすみません。」

いやいや、と先生もニコニコしている。「でもそうですねえ、皆ともう一度是非行きたいですねえ。」

「そうそう、おんなじホテルに泊まってさあ、またクラブ行っちゃって。で、海に飛び込む。」

「お前の水着はトラ柄だからな。」あ、そうだそうだ。口々に言う。

「もう持ってないわよ、そんなの。」

「買え。」

「お前はそのうるさいいびき、どうにかしとけよ。あの時は眠れなくて大変だったんだからな。」これはミュージシャンから柔道部に。

「でも、行けたらいいねえ、本当に。同じ場所で写真撮って。今度は家族も一緒にさ。」

「そうですねえ、いや、是非実現させましょう!」いきなり先生が一番ノリ気だったりして。

「ハイ、分かりました。ではわたくしに幹事をさせて下さい。」柔道部、目上の発言は絶対だよね。

社会の荒波に揉まれる前の自分達に戻った錯覚。皆気が付けば肩書きを持つような立場になっていて、でもたまにあの頃にこうやって戻ってくる。嬉しいよね、こういうの。本当に行けたらいい、バリに。もう一度。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年3月25日 (日)

同窓会

何年も経った後で昔の友達に会うのは楽しい。ゼミ仲間や先生と会うのは10年ぶりくらいか。少し早目の時間に、まるっきり覚えていない東京の街を闊歩しながら指定された場所へ行ってみた。どこもかしこもおいしそうな店が軒を連ね、街が暗くなっていくと色とりどりのネオンが浮き上がる。御徒町にその店はあった。早めに行ったのは、他の連中と会う前に例の彼が会いたいと言っていたからだった。

こういう時にどう反応していいのか良く分からない。確かに彼はなつかしい友達で、勿論会えたのは嬉しいけれど、でも心のどこかに沈んでいる自分がいた。私の方が一瞬早く彼を見つけた。何故だか分からないけど、彼に一種の失望感。んー何故だろう。彼は私を見つけると少しだけ顔をほころばせた。素直にニコニコしたらいいじゃないねえ。相変わらずひねくれてるんだから。近くのカフェに入った。入ったはいいが、彼の口が重くなる。何よ、変にじろじろ見ないでよ。別にこの男を目の前に、くすぐったいような気になる必要も無く、じゃあって感じで口を切るのはいつも私だ。

「元気そうね。年取ったんじゃない。」

「俺は全然変わらないよ。年の事言ったら墓穴掘るぞ。」

黙りがちになる彼の口を軽くする為、取り留めのない話を始めた。とは言え、私のとりとめのない話は大体政治経済の話だったりするのだが。喧嘩腰になるのは昔からの常で、彼は私の意見に必ずと言っていい程横槍を入れてくる。で、これも昔からの常で、私達の会話はデッドヒート状態になる。まったく、一体この男はこんな喧嘩をしかけに私に早く来いって言ったのかしらねえ。よく分かんない男だよ、本当に。

しばらく討論会を交わした後で、今度は話題の本とか映画の話に変えた。私が飛行機の中で見たバベルとか(これは日本人的感覚で観ると結構キワドイかもね。日本だったらぼやかしがあちこちに入ってるかも)、ジェームズボンド新作とか。新しいジェームズボンド役をあんまり好きでないもので、今まで観ていなかったのだが、観終えてみて、確かに良い作品だと思った。話の筋が良い。女が、こんな事が自分に起こったら良いのになあ、と実際には絶対に起こりえない事を夢想してしまうような、そんな話。道理で観に行った連中が口をそろえて、あの作品はすごくいい、と太鼓判を押す筈だ。

で、そんな話から、今話題の愛の流刑地の話になった。

「まあ、あれもフィクションだから軽い話だけどさ。でも、俺はああいう気持ちは分かるよ。」

「どういう気持ちよ。愛されていたいから自分を殺せっていう人間の気持ち?」

私は生きているのが大好き人間なので、間違っても愛している人間に殺してくれなどとはお願いしない。と思う。私もあまり詳しい話の筋を知らないので、一体どういう状況であの女が男に自分を殺してくれと言ったのかは定かでは無いが、まあ、ベッドの中で殺してくれと頼んだのだとしたら、そういう事を口走ってしまう状況もあるのではないかと思う。が、普通にそこら辺を歩いていたりして、自分を殺してくれなどと口走る心境は、んーちょっと良く分からない。

「だって女の方は逃げられない状態にいたわけだろ。自分には夫も子供もいて、それでも好きになった男と離れたくなかったわけじゃないか。自分がその男を狂ったように愛している時点で殺されたかったんだよ。その男に。俺には分かるね、その気持ち。」

過去にそんなふうな事があったって言ってたからね、君は。

「お前には分かんないかなあ、そこまで人を好きになるって気持ちがさ。」

「分かんなくも無いけどさ....」

一人の男を思い出していた。彼は心に深い傷を負っていた。その心の傷はあまりにも深く、幾度と年を重ねても癒される事も無く、彼はただただ心の奥底に閉じ込め、決してその扉を開けようとはしなかった。それでも彼は心のどこかで助けを求めているような、私にはそんな気がした。何故なら、私が絶対に他人に触れさせない、触れる事を許さない私の心の一番奥に、その彼だけがいとも簡単に触れたからだった。その時のショック。なんの話をしていたのかまるで覚えていないが、30何年と生きてきて、この人間だけがすっと手を伸ばして自分に触れたのだ。平静を装いながら動揺していた自分を覚えている。この人は私と同じ人間だ...。めまいを感じていた。よく観れば、明るく人なつこい表面的な性格とは裏腹に、彼はするどく繊細な感性を持っていた。しかしそれが為に傷つく事が多々あり、今までの経験がそうさせているのだろう、自分を防御する術として他人を安易に自分のテリトリーには入れなかった。全ての事を自分独りで抱え込み、解決しようとしていた。私がその彼と会った時、そしてこの事を直感で感じた時、反射的に両手を広げて彼を包みこみ、自分の力でその傷を癒してあげたいと思った。そうする事が私が彼と出会った理由のような気がしていた。

しかし、それをしなかった。もし私が行動を起こしても彼の傷を癒せなかったら。もっと悪い事に、その傷に上塗りしてしまったら――。彼を傷つける事だけはなんとしても避けたかった。これ以上苦しむ必要は無い。もう十分苦しんだのだから。自分の感情とは裏腹に理性が私を止めていた。でも、理性じゃ抑えられない感情っていうものもあるんだよね、これが。何度彼にこの事を伝えようと口を開いたことか。でも伝えられなかった。生半可なことでは彼の傷が癒えないのが分かっていたし、伝えたところで彼がどう思うかまるで見当がつかなかったから。今思えば、こんな気持ちの行ったりきたりで、あの当時彼にとっては意味不明な行動をしていたかもしれない。ははは。

「何だよ、誰か好きなヤツでもいるのかよ。」

「んー入れ込んでた人間がいたかもね...」

「誰だよ、それ。」

すぐにむっとする、この男。

「玉木宏。」

「馬鹿か、お前。」

今となっては机上の空論だが、それでももし彼が自分から私に向かって歩いてきたとしたら、その時は多分愛の流刑地を地で行くような、愛憎劇まぜこぜのものすごい恋愛になっちゃってたかもしれない。なんせ二人共激しいしのめり込むタイプだからね。でもその時には自分が傷ついても彼の傷を癒していると思う。何となくだけど、そんな気がする。そしていずれは別れの時が来て、どんな風にそれが来るのかまでは想像出来ないけど、それでも私が死ぬ時には、自分は大恋愛をしたって多分笑みを浮かべて死んでいってたと思う。

おぼろげに彼の横顔が目に浮かんだ。今彼は幸せなのだろうか。

「さ、行こうよ。もう皆待ってるよ。」

人の出会いなんて自分では予期出来ない。自分の分身に出会うのが早い人間もいれば死ぬ間際の人間もいる。あるいは一生分身に出会わずに終わってしまう人生もあるだろう。私は多分彼の事をずっと心に秘めたままで一生を終えるのだろう。自分の分身に出会えたことを感謝しながら。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年3月10日 (土)

たわごと

(昨日の続き)
「しばらくメールが無かったからさ、怒ってるのかなって思って。」
「怒っていないわよ。でもごめん。メール1ヶ月以上してなかったからね。」別に彼に怒る要因は何も無い。
「日本に帰る日、決まったよ。20日。」
「え、本当。で、どの位いられるの。」
「4月11日にそっちを発つわ。」
「じゃあ、3週間か。」彼のほっとしたようなほっとしてないような間。
「どうなの、そっちの方は。何かニュースは?彼女が出来たとか。」この彼、私の事は細かく聞くくせに自分の事となるといっつも貝のように口を閉じてしまう。何なのよ、まったく、と私は思っている。結構メールでやり取りしているので身近にいるように感じるが、実際にはもう何年も会っていない。
「いいだろうが、俺の事は別に。」彼は40を過ぎたと言うのにいまだに独り身だ。結婚したかった女性だっていたんだろうと思うが、(と過去形にするのは失礼か、はは。いや、まだ頑張れます、ハイ)雰囲気から独り身をエンジョイしている風だ。私は日本の中年(って言ったらぶん殴られるだろうな。青年では絶対ないし、んー青中年?)男性なんてあんまり知らないから比較が出来ないけど、客観的に見て彼は結婚候補に挙げられてもおかしくない人間だと思う。外見も中身も(ま、外見は何年か前の記憶に基づくのであまり確信は出来ないが)。仕事もばりばりこなしているし、年を重ねる度にその自信が彼を光らせていくような感じの男性だ。なんで結婚しないのかしらね。
「あんたねえ、いつまでも若いと思ってたらすぐおじいさんになっちゃうわよ。あれ、よく考えたらもう41になるんじゃない?」
「お前、俺の事より自分の事心配した方がいいんじゃないのか。きちんと自分の身体に気を使ってるのかよ。ジム行くとかさ。」
「そんな事...してないねえ。でも私はまだまだ40には少し時間あるからね。大丈夫大丈夫。」
「あーあ、今度会う時全然分らなかったって事になるなよ。人間努力が必要だぞ。惰性で生きてるとホンマモンのおばちゃんになっちゃうぞ。」この男、相変わらず人に喧嘩ふっかけてくるわねー。20年前から全然変わってないね。でも、変なの。私は大学を卒業してすぐに渡英した。それからは連絡も途絶えがちで、私が結婚した時だって披露宴にも顔を見せなかった。それなのに電話なんかで話をすると、15年も日本を離れている事実が無くなるような、20年前と同じ会話をしている。

男と女に友情は成立するか。このテーマで、成立しないと言ったのは私。成立すると断言したのは彼だった。私は今でもある意味男女間の友情は成立しないと思っている。男女間の友情らしきものが成立するのは、男女が男女の関係になる前のほんの少し(時々長い事もあるけどね)の間か、男女の関係を終えて、その上でお互いの人間性を認めた時のみだ。どちらも男女の関係にどこかでなる。もしそうでない場合は、どちらかが意識的にか無意識にか相手に恋慕を持っている場合だ。で、恋慕を持ってない方はその人間の事はどうでもいいのだが、慕っている方がくっついているって形。なんにせよ、男女がまるっきり性を意識せずに友情を成立させるのは不可能に近い。と、私は勝手に思っている。あ、その男女が同性愛者の場合は別としてね。それから既婚の場合もか。んーでもこれははっきり言ってビミョーなところだね。彼は何て言って反論したんだっけ。まるで覚えていない。

男って、女もそうだけど、長くその人間を知っていれば知っている程、他の人よりも自分がその人間に近しいと思うのだろうか。なんか、修羅場になりそうな場面なんかで、新しい彼女に前の彼女が、「あたしはこの人の事あんたなんかよりもずっと良く知ってるんだから。ベッドでどんな風にするのが好きだとか。」とか言っちゃって新しい彼女を逆上させるような場面が(テレビの話よ、これ)あったりするけど、んー、確かに長く知っているっていうのは得点だとは思うけど、でもそれだけで前の彼女の方が彼と縁が深いってこともないだろう。ちょっとこの例はズレてるかもしれないけどね。いくら長く知っていてもそれだけの関係もある。結局はそれだけの縁だったって事か。

「...じゃあ、久しぶりに皆誘って同窓会でもするか。先生も誘ってさ。お前先生にも全然連絡してないだろ。」
「ははは、今年はちょっと無理だったのよ、ばたばたしてて。でも皆に会いたいねえ。しようしよう。」
「まったく、お前はそういう所が大雑把なんだよな。変な所は神経質なくせに。」
.....すいませんね、今更直せません。
「3週間の予定は?」
「まだ何も。京都に行きたいんだよね。」
「金出すんだったら車動かすぞ。ホテルはきちんとしたとこね。」
「何言ってんのよ。誰もあんたと一緒に行きたいなんて言ってないじゃないよ。」既婚者に言う台詞ではないでしょう。一体この男は私がいまだに20年前の学生だとでも思ってるのかしらね。それにしても、この変わりよう。20年前は人の事遠巻きに見てたくせに、男も40の声聞くとこおんなに図々しくなるのかいな。こりゃ遊んでるね。でも結構愉快。あっぱれ。よく言ったって感じ。
「でも同窓会では会ってあげるわよ、はは。」
「会ってあげる?それはこっちの台詞だ。おばはんになってたら何も言わずにその場を去るぞ。」

同じ呼吸をしている人間と出会うのは難しい。自分の分身と出会うのはそれこそ奇跡みたいなものなんじゃないかと思う。桐生夏生のOUTじゃないけど、運命の出会い。若い時は相手に合わせようとするから、なんとなく波長が合ったりして、それをああこの人だと思っちゃったりするかもしれないけど、でも真の分身って自分が合わせようとしなくたって自分と同じ呼吸してるもんなのよね。結婚しているどれだけの人間が真に自分の片割れと一緒になったと思っているのだろう。誰かリサーチしないかしらね。

ーーー俺はいつもお前の見方だ。
兄貴のつもりなのかしらね、いつもそう言う。嬉しい言葉。特に疲れてる時なんかに聞くと。だけど、同じ呼吸はしてない。手に入れられないものをいつまでも追い続けるもんじゃないわ。

彼が自分と同じ呼吸する人間を早く探し当てられるよう。思いながら電話を切った。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2007年3月 9日 (金)

現地校見学、プラス...

変なの。日本人学校の方の説明会は必須とか言われても大して必要性を感じなかったのに、もしかしたら下の子が受験するかもしれない女子校の説明会の方は、前日に届いた来て下さいとのメールでそそくさと出かけていった。北にある伝統ある女子校。5歳から18歳まで一貫教育。アカデミックなレベルもさることながら、情操教育に力を入れている事で有名な学校だった。勿論この学校も説明会出席は子供の受験に必須。一回の説明会に約25人出席する。これが3、4回ある。実際の受験は来年1月。下の子は、上のサルと違って愛嬌はあるものの、言葉が遅い。んー、あと1年で一体どれ程に成長しているか、あんまし親としても疑問が残る。が、まあ、あまり深く考えるのはやめる。

この学校はハイゲイトスクールのすぐ隣にあった。ハイゲイトスクールはハムステッットの北に大きな敷地を持ち、昔は由緒ある寄宿学校として何人もの著名人を世に送り出している。ここの礼拝堂の裏の墓地にはマルクスだかエンゲルスが眠っていると言われる。夜になると首の無い鶏が歩き回るとかで、ーーーこの首無し鶏がマルクスだったかエンゲルスだったかとどんな関係があったのかはあんまし覚えてないけどーーーでも、そう言われるとそんな風にも見えてしまう小さな墓地だ。その道を少し下るとこの女子校があった。建物的には大きな家を何軒か繋げて学校にしたって感じで、赤煉瓦のビクトリア朝の建物が私達を向かい入れてくれた。

学校案内をしてくれたのは11歳の女の子達で、ジュニアスクールの中の年長なのだろう。とは言え、たかだか11歳、それでいて親を相手にクラスを一つずつ説明していく。いつも思うが、ここがこの国のすごい所だ。こんな小さい頃から何を話すのかを考える力を培われる。勿論、大人になるとこれが高じて口だけの人間になっていったりもするのだが。

説明を聞きながら、気が付いた事があった。まず、制服が茶色。私は茶色が好きだから別に構わないが、他校と比べると地味だ。次に先生が皆女性。否、スタッフが皆女性。ぱらぱらとめくった学校のパンフレットに載っていた人体解剖のモデルも女性。普通これはどこに行ったって男性か性別不能ってな感じのモデルじゃない。......この学校って実はものすごくお堅いんじゃないの。修道院みたいに。そう言えば私のムスリムのママ友達が言ってた。この学校だったら子供達も変に色気づいたりしてなくていいって。....でもねえ、これじゃあ男に免疫出来ないよねえ。だって5歳から女子だけの生活になるわけでしょ。18歳まで日常に同年代の男の子がいないって事よね。偏るよねえ、絶対に。

私の経験から言って、女子校に行くと共学にいる子より早熟になる子が多い。それは女子校と言う特殊な環境に置かれる為に男の子を男の子として見ず、男性として見てしまうからだと思う。共学だったら、同じクラスの子がたまたま男だった、のノリでしょう。ところが女子校だと、私達は女性、向こうは男性、となる。当然知り会う時は友達と言うよりも、恋人になるかならないか、だ。別にこれを悪い事だとは思わない。実際自分が女子校に行って楽しい思い出が沢山ある。初日は息詰まったけどね、皆女で。どうせ若い時なんて一度しか無いんだし、恋人なんて沢山作って色々な経験したらいい。それが自分を深く大きくする。私に言わせたら年頃なのに恋人いないって方が深刻。もし自分の子が勉強ばっかりとかスポーツばっかりにうつつ(うつつって事も無いけどね、はは)抜かして異性関係全く無かったら、私が率先して出会う設定とかしちゃうかも。深刻よ〜深刻。免疫無いってのは。が、問題はこの学校の態度だな。多分私とは正反対の考え方をしているんだろうなあ。んー、ま、少し考えよう。

なんて、考えながら家に着くと電話がなった。出ると男の声。日本からだった。
「俺。元気か。」
へっえ〜。待ってられなかったのかしら、私が日本に帰るの。
「まあまあね、忙しいわよ。一人で二人の面倒見てるんだから。何よ、珍しいじゃない、電話かけてくるなんて。」
大学のゼミ仲間だった。時折メールでやりとりしている。私が春には帰る、夏には帰る、冬には帰る、とか言うだけ言ってて全然帰ってないので、この間文句のメールを寄越してきたばっかりだった。私もこの春は父の13回忌もあるし、お金も無いのに日本に帰るかと決心した。まあね、子供も少しは日本に連れて行かないとね。ただ、帰るとなると帰るってやっぱり彼にも言う事になるよね。いつそれをメールしようかと思っていた矢先の電話だった。
(続きは明日)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年3月 4日 (日)

日本人学校!

す、すごい。日本人社会。イギリスに十何年もいて、日本人社会の様子などすっかり頭から消え去っていた...。

事の始まりは、1月末のママ友達からの電話。「もしもし、お宅の上の子、この4月から小学校1年生でしょ。そろそろ日本人学校補習校の締め切りよ。早く名前を入れておかないと大変よ。」何が大変なのかあまり分らずに、とにかく日本人学校補習校に電話を入れた。
「はい、日本人学校でございます。」
「あのお、この4月から小学校1年生になる子の親なんですけども、補習校に入れようかと...。」
「はい、では土曜日の小学部の方ですね。もう説明会には出席されましたか。」
「いえ、まだです。」
「では、まずですね、説明会に出て頂いて。でこれに出席されないと補習校には入れません。」
「あ、そうですか....。」
電話を切る。

その後何人かの日本人ママ友達に会って話しを聞く。へえ、補習校ってそんなに宿題は出るわ、ボランティアはやらされるわ、子供も親もひいひい言ってるわけね。何何、あんまり大変で落ちこぼれたのも既にいるわけ?まだ1年生じゃないよ。...まあね、片親が非日系だったりすると、両方の親が日本人の家庭よりは日本語教えるのも大変かもねえ。

説明会当日。色々と悩んだ挙げ句、そうでなくても今現地の学校の方も大変なのに、私がとにかくあんな北の方の辺鄙な所まで毎週毎週送迎出来るかも不安だし...ま、いっか。いいや、子供には私が日本語教えれば。うちの子達、別に日本の学校に行く事も無さそうだしね。と、説明会には行かず仕舞い。

そんな事もすっかり忘れた2、3日後の夕方。電話が鳴ったので出てみる。
「もしもし、日本人学校の者ですが。」へっ?
「この間の説明会いらっしゃいませんでしたよね。どうかされましたか。」
...どうかされましたかって、説明会に出なかったって事はイコール行く気が無いって事でしょうが。自分でもそう言ってたじゃないの。
「実は色々と考えたんですが、現地校の方も段々と大変になってくるし、これ以上親としては子供にプレッシャーをかけるのもどうかと思いまして...」向こうは黙っている。「.......」
「...で、親としては日本語を教えたいんですが、聞いた話だと落ちこぼれてしまうお子さんもいらっしゃるようなので...」
「そういうお話ならですね、日本語科というものもございますよ。日本語があまり分らない子供達を対象にしてまして、こちらだったらそんなにプラッシャーにはならないと思います。ちょっとお待ち下さい、今ここに代表の者がいますので。」え、いいわよ、別に。入るって言ってないんだから。
「あ、もしもし、お電話代わりました。私はここの校舎長です。よろしく。とりあえずですねーーーー」
話は延々と30分は続き、挙げ句の果てに週末学校参観となってしまった....。

土曜日。朝しっかりと早く起き、最初に電話をくれたママ友達の家へと向かう。日本語科は日本人が最も多く住んでいる西の校舎にしか無いらしい。私が住んでいる地域だと北の校舎に行かなければならないらしいのだが(そんな事まで一々示唆している所が、またそれを順守するように、と書かれている辺りがなんとも日本の社会を意識させる。息詰まる!)、日本語科と言う事で西の校舎に車を走らせる。ママ友達の子供は西に通っていた。彼女の家だと西の学区なんだそうだ。

車で約20分。着いたわよ、との彼女の声に辺りを見回す。....どう言う事!?歩いている人歩いている人全部日本人。ちっちゃいのから年寄りまで、一体ここはどこ、と首をかしげたくなる程に日本人だらけ。話しには聞いていたけど、西の方ってこんなに日本人が多いとは思ってもいなかった。もうびっくり。声にならないって感じ。....と同時に気が重くなってきた。なんかバハレーンにいた時みたい。どうも私は自分が素のままの自分を出せそうも無い環境だと感じると拒否反応を示すみたいだ。
「ここが日本人学校よ。」
へえええ。これはすごい。ビクトリアン後期の建物だろうか。この国の学校には珍しく、普通の屋敷を改築して学校にしたのではなく、最初から校舎として建てられた赤煉瓦造り。正面ドアの飾り石には、ハバダッシャーズアスク、と書かれている。はあん、ここはあのガリ勉で有名な北の方の私立校が元々の持ち主だったのね。だからこんなに立派な校舎なのね。それにしてもすごい。この校舎、そんなに小さくない。むしろ学校としてはとても大きい部類だ。日本人学校はこの校舎を埋める程に生徒がいるのか。それも西校舎なのだ。この他に北と南にも校舎を持っている。へえ、ロンドンって日本人がいっぱいいるのね。....ここに十何年住んでいて初めて知った事実。

校舎に入ると個室に案内された。へ〜、これだけ日本の物が飾られた部屋ってあんまり無い。大きながっしりした兜、ひな人形、飾り扇、茶器一式、壁には巻物、窓の縁には七宝焼の器。昔勤めていた会社の接待室だってこんなに日本の物あったかなあ。とんとんとドアをノックする音がして校舎長の登場。私より背が低く、典型的日本人。でも学校の先生にしてはラフな感じ。
「どうも初めまして。こんにちは。」とうちの子に挨拶。こういう時、まるっきりだんまりしてしまううちの子って本当に始末が悪い。とにかく、だらだらと説明を聞き、じゃあとりあえず授業でも見に行きましょうか、となった。部屋を出て教室に向かう。行き交う保護者達。皆胸にバッジを付けている。何をしているのか、何人かで固まって仕事をしているグループ、椅子に座り子供が終わるまで待っているのだろう、本を広げている父親、久しぶりに出会ったのかおしゃべりに花を咲かせている母親達。どの人もどの人も日本人。壁に書かれているお知らせや子供の作文等もすべて日本語。こんな異国の土地にいてここだけがまるっきり日本。それも、イギリスに感化されていない日本。

日本語科の授業。子供は皆ハーフ。先生は勿論日本人。先生が勝手な事をしている子供達に号令をかけ、直立させて挨拶させる。「では、ちょっとこれをやってみましょう。反対の言葉を言って下さい。」先生が、おおきいと書かれたカードを見せる。答えの分る子が手を上げる。でもこっち式の、人差し指を突き立てた手の挙げ方。それを見てなんとなく安心した。ま、このクラスのやってる事は、うちの子だったら飽きちゃう位簡単だね。

次は小学部。1年生で5クラスあるらしい。主任のクラスに滑り込む。皆が先生を囲むように机を並べて座っている。皆静かに先生の話を聞いている。先生の目が厳しい。2、3人ハーフの子がいた。偏見かもしれないけど、ハーフの子はピュア日本人よりもきちんとしてない子が多い。この、きちんと、という語はビミョーなのだが、例えばお辞儀が出来ないとか、動かないでいる、とか要は我慢が足りないって事かしら。で、ここにも例に漏れず。一人の男の子はきょろきょろして注意され、一人の女の子は椅子にきちんと座っていられなくて怒られていた。大した事ではないのだが、他の子供が全然動かないでいるので目立ってしまう。私も、ああ、あの子は問題児だなとすぐに察した。後で聞いたら、その子は私のママ友達の友達の子供(ややこしいが)で、目をつけられていると親が嘆いているらしい。正直な話、仕方の無い事だと思う。画一的に教育を施す日本社会では、出る杭は許されない。皆同じような姿形をし、同じような表情をまとい、同じような動作をする事が善しとされているのだ。二親が日本人でそのうち日本に帰る事が分っている家族が子供を日本人学校に送るのは理解出来る。しかし、片方は非日系、いつ日本に帰るか、又は帰る意思が全く無く、それでも子供には日本人の子供と友達になって欲しいという理由で日本人学校に子供を入れる親は、はっきり言って、そういう日本の日本たる部分をなんらかの形で受け入れなければならないのだ。そして、一体これは子供にとっていい事なのかどうか。勿論日本語を習うという意味ではとてもプラスの事だ。しかし、日本人学校に行って個性を摘まれ、他人の言う事を聞くのみに徹する姿勢を培い、自己で考える態度を習わず、ただただ目立たず出過ぎず群れの一員となる事に結果を置く日本式教育にそこまで固執する必要があるのだろうか。日本の教育方針根本は精神錬磨だったのだろうが、しかしそれが長い年月を経て違う形になって教育の現場に現れている。親の半強制的なボランティア活動も然り。強制的ならボランティアとは言えまい。そして大人達の、少しでも自分達と違う風の人間がいるとそれを揶揄するような態度。十人十色。人が皆同じ服装をし、同じ風情を纏い、同じ生活をしているなんて事は共産圏にでも行かない限りありえないのだ。自分は違う。多かれ少なかれそう思っているに違いない。それなのに、何故日本人は他人に個性を許容しないのだ。個性を許容してもグループ全体がまとまらなくなると言う事はない。そのグループが同じ目的を持ってそれに進んでいれば、そのグループはグループとして一つになっているのだ。反対に皆が画一的な行動をとっているように見えても、同じ結果を求めていないのであれば、まとまりの付かない集団に帰する。

なあんて、ま、うちの子にはああいう、少し厳しい位の先生に付いて、躾けてもらった方がいいのだろうが。
「ま、あなたの子は大丈夫よ。上手くやるタイプだから。しっかりここの雰囲気にもハマっちゃうわよ、土曜日だけ。」
ママ友達は愉快そうに笑った。問題は、日本を目の前に拒否反応を起こした私の方だね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月26日 (月)

大屋になるっていうのは...

私は二つフラットを所有する。二つ共同じ建物内で、ガーデンフラットと呼ばれるいわゆる1階とそのすぐ上の階。イギリスにはコンバージョンと呼ばれる昔の大きな家を改造して何軒かに仕切ったフラットがまだまだ数多くある。実際日本で言うところのマンションブロックよりも、このコンバージョンの方が数的には多いと思う。いまだに覚えている。95年の秋、ロンドンの北西ハムステッドをあちこち歩き回り何軒も何軒もコンバージョンを見て回り、あの家に行き当たった。なにがそんなに良かったのか、あまり覚えていない。強いて言えば、そこは改築された直後で、日本人の私には、すぐに移れると言うのがすごく嬉しかった。そしてその通りには、ずらっとナッシュ様式と呼ばれる18世紀の白塗りの高天井の家々が並び、歩道にぽんぽんと植えられた高い樹木が色付いた葉を落とし始めていた。

私達が中東に移動するのをきっかけにこの二つのフラットを賃貸にする事になった。こう書くと随分昔のように思えるが、実際はつい何ヶ月か前の話だ。私は家を借りた事が無い。院生時代には部屋を借りていた事もあったが、部屋を借りるのと家を借りるのでは少し勝手が違う。扱われる金額も違うし、契約書面の枚数も違う。デポジットだって額が全然変わってくる。それでも部屋を借りていた大屋は良い人達で、私はこれと言って賃貸で問題をきたした事が無かった。自分がテナントになった事もなく、まして大屋になるなどと言う事は初めての経験なので、一体どこまで大屋として責任を持たなければいけないのか等という事には皆目無知だった。ま、選んだ不動産屋がハムステッドではかなり知名度の高いところだったので、とりあえずは彼らの言う通りの事をしていようと、当たり障りない大屋をしていた。

私の中東体験はものの3ヶ月で幕を閉じてしまった。前にも書いたが、子供の受験もあったし、あんまりにも生活ペースが私のそれと合わないのとで、こんなんだったらロンドンにいた方が全然マシ、と夫をおいてさっさと戻って来てしまった。自転車を走り回せる程の大きな応接間やスイミングプール、住み込みメイド達なんかは私の目の前から消え去ったが、反対に、今はその当時の一部屋くらいの小さなフラットに居を構えメイドもヘルプも無く一人で子育てに奮闘するハメとなっているが、それでもロンドンに戻って来た事は正解だったと思っている。子供達の教育も今は私が危惧する必要も無いし、文化を直接肌で感じられる環境にいる。これは音楽をたしなむ端くれには絶対に絶対に譲歩出来ない事なのだ。

とにかく、問題はいきなりやってきた。私はそのフラットの管理を知り合いの業者に頼んであったのだが、前日彼から電話を貰った。いつもはメールで済ませている彼が電話して来たので少しビックリしたものの、普通に電話に出る。
「あれ、久しぶりです。今日は朝から何か?」
「いや、本当に久しぶりです。実はお宅の不動産屋からこんなメールが届きまして...」
彼がかいつまんで詳細を話す。事はガーデンフラットのテナント。このアイルランド人、最初の月だけは決まった日に賃料を払ったが、その後はまるっきりだらしなく、こっちが再三催促しないとそのまましらばっくれる位に払わない。私もいい加減催促するのにもうんざりして、不動産屋に苦情のメールを出した。不動産屋はそれをテナントに見せたのだろう。テナントから十何項にも渡るクレームを不動産屋に送って来たのだ。それをその管理会社に渡したらしい。その一々がなんともアホらしいクレームなのだ。例えば、水の出が弱い、開かない窓がある、バスタブの形が悪い、ナイフフォークの質が悪い等等。テナントに言わせると、何度もその管理会社に電話をしたらしい。勿論事実無根。性質の悪いのは、管理会社の人間が窓から入って来たというクレーム。こういう事を十何項も挙げ、賃料を払わないと言う。
「知ってました、こんな事?」
その管理会社の彼が訊いてくる。
「いや、全然。何、それ。」
訊いているうちに段々頭に来ていた。何かフラットに不都合があるなら、それこそこうして欲しいといってくればいいのだ。それを、お金を払いたくないからこういう風にいちゃもん的クレームを羅列してくるこの態度。本当、典型的(言っちゃ悪いけど、でも、実際そうなんだから仕方無いよね)英国人。日本人がこっちに来てカルチャーショックを受けるとしたらこれだろう。正直者は馬鹿を見る、が深く息づいている彼らの態度。他人は皆悪人、非を認めるは自分の敗北、払ったが最後、ここら辺は私がこの国で嫌と言う程痛感させられた悪いサイドの英国人気質だ。ちなみに、この管理会社は日系。この私と話しをしている彼もまだ在英3、4年。あんまりこういう事には慣れてない風。

「ちょっと確認しますけど、このテナント、実際ここ何ヶ月かお宅に電話をかけて来た事なかったんですね?」
「無いですよ、全然。勿論入った当時にはボイラーの点きが悪いとかで、何回か行きましたけど、でもそれ以外、ここに書かれているような事で直して欲しいって電話なんて無いですよ。」
彼も困惑していた。
「じゃあ、ちょっとそれ、書面に残してもらえます?メールで結構ですから書面にして不動産屋と私とに送って下さい。もし裁判とかになった時の証拠にもなるので。」
なあんか、話しながら段々憂鬱になってきた。勿論テナントなんて、ピンからキリまでいて、良心的なテナントに出会う時もあればあんまり入ってほしくないテナントに出くわす事もある。今回のは後者だったわけだ。

私にはフラットが心配だった。ついこの間何ヶ月かかけて改築したばかりだった。その内自分が住むかもしれないからと、結構お金と時間をかけて綺麗にしたフラットだった。今、一体どんな状態になっているのだろう。心配だが、だからと言ってしゃかしゃかと自分で言って調べる程の厚顔さも持ち合わせていない。と言うか、もしフラットが綺麗に使われていなかったら私はショックを受けてしまうと思う。変な言い方だが、私にとってあのフラットは自分の一部のようなものなのだ。そのショックを受けたくなくて自分では見に行けない。

「悪いんですけど、早急にフラット見に行ってくれます?で、そこに書かれてあるクレームの直せる箇所は直して頂いて。で、どんなだったか教えて下さい。」
そう言って私は電話を切った。来週には彼らがチェックしに行くだろう。まるで病院で自分は一体何の病気なのか、答えを待っている患者の様な気持ちでいる。

| | コメント (0) | トラックバック (4)

2007年1月16日 (火)

ロンドンの賃貸物件

確かにね、前々から賃貸物件には期待するなと色々な人から聞いていたけれど、気に入った物件を探すのがこんなに大変だとは思わなかった。どれもこれも帯に短しタスキに長し。短期間と割り切って学校の近くで探してはいるのだが、んー賃貸物件ってこんなもんなのかしらね。

ロンドンに戻って来て10日間。どちらかと言うと衝動的とも言えてしまう子持ち逆戻りは結構周りをビックリさせているみたい。でも、でも、でも。考えてみよう。上の子供の受験が1月に3校。上手くいったら2月に面接。もしどこかに受かったら9月に入学。バハレーンとロンドンとを何回も往復するのは経済的ではない。プラス上手くいったら9月にはこっち。だったらそれが少し早まったと考えればそんなに問題でもないでしょ。あー、そうね。ダンナね。でも彼は私がどこにいたって出張出張であんまし家にいないし、それにバハレーンだと友達がいる分余計に外出が多くなってロンドンにいた時より顔見ない気もするし。どっちにしろ、彼の仕事はロンドンを行ったり来たりする訳だから、恐らく毎月ロンドンに来ると思うし。なら、そこら辺の日本人達がやってる事私もやってみようかなと。子供の教育の為にダンナは単身赴任。

とりあえず、子供の受験、2校は終わり。結果はあんまり考えたくない...。終わった直後に、どうだった、って聞いたって、忘れちゃった、の一言。...私はこんな言葉を聞くためになけなしの金を注ぎ込み身を削ってロンドンくんだりまで帰って来たんじゃないのよ!と子供に言ったって、あのサルには何の事だか分からない。自分が疲れるだけだから、もう何も言わない。とりあえずストレスの原因が一個減ったと考えよう。

さて、本番の部屋探し。自分の愛するフラットはテナントが入ってしまっているので、そこには帰れない。だからどこか探さなければ。どうせ賃貸なら送り迎えが楽な学校の近くにしよう。

子供が通う学校はセントジョンズウッドにある。日本で言ったらどの辺りかなあ、田園調布とかかな、とにかく高級住宅地だ。大きな家が立ち並びベンツやBMW、ジャガー等があちこちに止まっている。小さなハイストリートには大きなジュエリーを付けハイセンスなスーツを着た年配の女性やらカジュアルなのに全てがブランド物をまとっているティーンエイジ達がカフェで寛ぐ。ちょっと年代が上の人用って街だが、日本人達にも人気の場所だ。とは言え、ここら辺を歩く時には家の中にいるような格好でいてはいけない。メイドと間違えられる。だから日本人達の結構必至に化粧をしまくりいい服を身につけて歩いている。ような気がする。そんな事はともかく、学校は有名なアビーロードの交差点のすぐ近く。私は毎日あそこを通って子供達を学校に連れて行く。いっつも観光客があの横断歩道で写真を撮りたがるので渋滞する場所。今、離婚問題で大騒ぎ中のポールマッカートニーが見れるかもしれない(!)アビースタジオもすぐ近く。スタジオの壁にはファンらの落書きがびっしりとされているのだが、あれは定期的に真っ白に塗り直される。皆知ってて落書きしてるのかなあ。

本題に戻る。そう、部屋探し。学校の近くで2ベッド(最低でも)と思って探し始めたが、これが本当に難題。大体休日明けで物件も少ない。不動産屋に電話をしたってこっちの情報だけ収集して、連絡待ち。それでも、一軒見つけた。3ベッド、共同庭。学校の斜め前。いいじゃない!見に行こう。すぐに連絡を取って見に行く。本当に学校の目の前だった。斜め前。とっても静かな70年代の赤レンガのビル。すごい!これなら子供達勝手に学校に行ける!私が送り迎えする事ない!でも、ちょっと静かすぎるような。

不動産屋と一緒に中に入る。ちょっと古くさいかな。聞いたところ、元公団。あーそんな感じかも。でも中は?今改装中。いいじゃない、じゃ入る時にはきれいになってるって事よね。入って右に主寝室。まあまあのサイズ。あ、でも洋服タンスがないね〜。左にはトイレとバスルーム。んー、ちょっと古いかなあ。これを新しくすればいいのに。その奥に小さい部屋。そうね、これはシングルベッド用だね。廊下を行くと主寝室の隣にリビングルーム。左にキッチン。これは今リフォームの真っ最中。でその向こうに2番目の部屋。ふうん、ここは子供達ようかな。とにかく改装中だからあちこちに色々な物が置いてあって見た目は良くなかったけど、でもまあまあの広さ、それに学校にこれだけ近いなら、元公団だって悪くない。オーケー、借ります。

ここまでは良かった。大家さんもオーケーしてくれて、一息ついたところで、何の家具を入れないといけないのか、もう一度見に行く事にした。これがまずった。子供達の学校の帰りに寄った。新しい所で子供達が大はしゃぎ。まずい事にその時大家の両親が改装の状況を見に来ていた。大体こっちの老人は子供が嫌い。特に元気な子供達なんて、お願いだからあっちに行って、のノリ。話の続きは想像に難くない。その通り。あんな行儀の悪い子供達には部屋は貸せないとなり、その場所はおじゃん。ガ〜ン!もう部屋決まったと思って一息ついていたのに!確かにうちの子達元気が良いけれど、特別行儀が悪いとは思いませんが。子供でじい〜っと静かにしている子がいたらその子は具合が悪いのよ。ま、そんな事言ったってどうしようもない。とにかく部屋がない事には家無し子になってしまう。大変!

それから不動産屋かけまくり。大体このホテル1月末までしか取っていない。それまでに契約済ませて入居せねば。(続きは明日)

| | コメント (0) | トラックバック (3)